兎の吠える声がした 兎の吠える声がした

びぃん、びぃん。 穏やかな午睡を掻き乱す珍妙な音に、六は目を開けた。
最初は起こされまいと抵抗して枕で両耳を挟んでみたりはしたものの、やはり絶え間なく鳴り続ける不協和音には勝てなかった。
遂に六は枕を放り捨てて起き上がったのである。

びぃん、びぃん、

襖を開け、廊下を渡り、音の源を探す。その調子っぱずれな音は紫の部屋から聴こえてくるようだ。三味線の調律でもしているのだろうか。
まさか彼女がこれ程に酷い音を鳴らすとは思えない。
何にせよ、この音を如何にかして貰う迄は昼寝が出来ない。

「勘弁しろよな、紫……」

からりと襖を開く。
そしてそのまま六の動きはぴたりと止まり、ついでに寝呆け眼も一気に醒める。
そこに座って三味線を爪弾いていた人間は、見慣れた艶やかな女性──ではなく、年齢も体つきもひとまわりほど小さな、『女の子』だった。

びんっ。

沈黙する二人の間を調子っぱずれな三味線の音が妙に鋭く駆け抜けていった。


「最初はギターを教えてあげていたんだけど、三味線も弾いてみたいって言うもんだからさ」

戻ってきた紫の手には、円い盆があった。どうやら茶を淹れる為に席を外していたらしく、盆の上には熱い緑茶と栗鹿子がふたつ乗っていた。
桜色をした紫愛用の湯呑みと、来客用の少し高価い湯呑みだ。
六の大振りの湯呑みは、ない。

「俺の分は」
「ま、何言ってるのさ。たまに帰ったきたと思えば高鼾かいて寝こけてたくせに」

ふん、と紫は鼻で笑った。

「食べたければ自分で支度しな。……さ、鹿子ちゃんは遠慮せずどうぞ」
「ありがとう、姉御!」

鹿子、と呼ばれたその娘は名前通り鹿子が好物なのか、嬉しそうに菓子にかぶりついた。
それを実に美味そうに頬張る姿は、腹ぺこの仔兎が人参をかじる様にも似ている。
ぱっくりと割れた断面から香る餡の甘い匂いに、普段は甘味を食べない六もその栗を模した饅頭が恋しくなった。
思わず紫の分にひょいと手を伸ばすと、返ってきたのはぴしりと鋭い扇子の一撃。

「……で、このちび助はどこの娘なんだ?」

はたかれた手の甲をひらひら振りながら六は尋ねる。実は相当な痛みなのだが、そこは女子供の手前何でもないといった風を装った。

「ちび助じゃないよ。あたしは鹿子」

ちびと言われたのが気に触ったのか、鹿子の言葉は幾分むっとした様な響きを含んでいた。

「鹿子ちゃんはOEDO星から来たんだって」

ずず、と緑茶を啜りながら紫が補足する。

「そりゃまたご苦労なこった。観光か?何か用事か?」

ふるふる、と鹿子は首を振った。それに合わせてしゃらしゃらと揺れる髪飾りは、よく見れば豪奢な細工だった。
艶やかな振り子を眺めるうちにはたと思い当たり、六はするってえと、と尋ねる。

「神に呼ばれたか」
「うんっ!」

鹿子は嬉しそうに首を縦に振った。
しゃらん、と音を立てる髪飾りの細工は、果たして珊瑚か翡翠か。

「し──家でエアギターしてたら、神が招待状をくれたの!あたし、星を出るのは初めてなんだ!」
「そうか。俺は今回で四度目だ。何か面倒事がありゃ言いな」
「子供じゃないんだから自分でなんとかするよーだっ」

少し甘い顔をしてやると、べ、と舌を出されてしまった。紫には懐いているようだが、全く可愛げのない子供だ。

「ちび助が、後で泣いたって知らねえからな」

大人気なく憎まれ口をくれてやり、そのまま六は立ち上がった。

「あら、何処行くのさ」

台所から紫がひょいと顔を覗かせた。微かに、淹れたての緑茶の良い香りがする。
六の分を用意してくれたのだろう。よく気のつく女だ────なんて誉め言葉は、口に出してはやらないが。

「何処って、昼寝の続きだ」
「イヤな人ねえ、折角あんたの分を用意してやったってのに」
「悪いな。じゃあ、そこの『お姫様』に出してやってくれ」

じゃあな、とひらひら手を振りながら六はからりと襖を開け、部屋を後にする。

「ばれてたんだね、あの人には」
「ちょっとおっさん、何であたしが姫って────!」

遠くから、笑い声ときゃんきゃん吠える兎の声が聞こえた。
構うものか、と大きな欠伸をひとつ。
襖をぴしゃりと閉め、六は再び瞑目した。


2008.October.30 up



鹿子がお姫様って設定は公式の曲解説から引用しました。
六がそれに気付いた理由は髪飾りと、「家」ではなく「城」と言いかけたことです。微妙な伏線。
六紫はどうも時代小説調の文体で書いてしまいます…。六はしょっちゅう旅に出てて、たまにふらっと帰ってくる設定です。






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